野口農園の初代である野口國之介が蓮根の生産を始めた霞ヶ浦沿岸には、広大な湿地帯が広がっていました。霞ヶ浦沿岸は今でこそ蓮根の日本一の生産地となっていますが、そのほとんどは1970 年代以降の転作田。國之介が創業した当時の主要作物は稲でした。
しかし、代々貧しい農家であった野口家の先祖が耕していたのは、國之介の胸近くまで沈み込むような深田。米が豊かに実るのにはあまりに深すぎたのです。
思い立った國之介が当時の霞ヶ浦に自生していた原生種の蓮根である柳蓮(ヤナギ)を植え付けたところ、良い品質の蓮根を収穫することができました。その田には、水辺の植物の腐葉土が永い年月をかけて堆積して作られた、絹を思わせる繊細な「泥」があったからです。この泥こそ、蓮根が生育するのに最適な土壌だったのです。
しかし当時は機械などありません。蓮根田の水を抜き、小さな鍬を使って一つひとつ手作業で収穫をしていたと伝わります。柳の葉を思わせる細長い形状の柳蓮は、地下深くに潜り込む性質があり、深い田のさらに奥深い場所に育ちます。胸丈までもあるような深田の奥深くで育つ柳蓮の収穫は大変な作業でした。お節料理の代表的な食材である蓮根の収穫は極寒の中で行われていました。
しかも貧しい農家であった國之介に蓮根栽培の知識は何一つありません。来る日も来る日も蓮根に向き合う以外の術はありませんでした。いつしか國之介は、蓮根の「顔」を見分け、その「声」に耳を傾けるという、蓮根農家としての高い技術や技能を身に着けていきました。